認知バイアス

Takami Torao #認知バイアス #CognitiveBias
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人が何らかの意思決定を行うときに暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことをヒューリスティック (heuristic) と呼ぶ。

意思決定において根拠の一つ一つを吟味し合理的な判断を下すコストは決して低いものではない。人は重要ではない判断に対して、過去に経験したり記憶から導き出しやすい材料に基づいて意思決定を行っている。例えばシェフが 1 コース分の料理を作り上げるまでに、プログラマが 1 つのソースファイルを書き上げるまでに、小説家が 1 ページ分を書き上げるまでに数百から数千もの軽微な判断が行われている。これらの殆どがヒューリスティックによって決定されていることで実用的な時間での完成が可能になる。

ヒューリスティックは合理性モデルの観点で可能性の探索が不十分であるため不適切といえるが、それに伴う潜在的な損失よりも、判断を短絡させることによる時間の節約による利得が大きい場合が多い。ヒューリスティックを使用することで、日常的な作業における膨大で軽微な判断コストの多くを削減し、他のより重要な意思決定に注力することができる。しかし、すべての局面でヒューリスティックを受け入れることは賢明ではない。時間節約の利益より判断の質の低下による損失の方が大きいこともしばしばある。加えて、本質的な問題として、我々は意思決定においてヒューリスティックの存在そのものに気づいておらず、ヒューリスティックが有益な状況と潜在的に有害な状況とを区別できていない。

ヒューリスティックはしばしば意思決定において合理性の欠落や逆行する方向に関与するバイアス (bias) となりうる。判断を誤った場合の被害が大きく、質の高い意思決定が求められる場合には、バイアスを避ける意思決定を努力して使う価値があると言える。

周囲への感情作用

人がヒューリスティックに基づいて判断を行なったとき、その意思決定は合理性よりも時間短縮が重視される問題であったというメッセージを周囲に伝える。これが問題の軽視や正当性の欠如と周囲に受け取られることがしばしばある。特に、自分本人に対する評価や提案でヒューリスティックを適用された人は、それを軽視や侮辱、あるいは偏見、差別と受け取ることがある。

親しい間柄ではヒューリスティックな対応も人に対するヒューリスティックな対応は親しさの現れであるが、一方で、受け取り手はそう感じていないことも多い。ヒューリスティックを適用すべき局面かそうでないかについて注意を置くことは良好な人間関係を保つためにも有用である。

合理性

Table of Contents

  1. -
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      1. 周囲への感情作用
      2. 合理性
  2. 利用可能性ヒューリスティック
    1. 1 想起容易性
    2. 2 検索容易性
  3. 代表性ヒューリスティック
    1. 3 基準比率の無視
    2. 4 サンプルサイズの無視
    3. 5 確率の誤認知
    4. 6 平均への回帰
  4. 適合ヒューリスティック
    1. 7 確証バイアス
    2. 8 アンカー効果
      1. 購買心理
      2. 第一印象症候群
      3. 偏見
      4. 大衆心理
      5. 心理作用
    3. 9 連言事象と選言事象のバイアス
    4. 10 自信過剰
    5. 11 後知恵バイアス
    6. 12 知識の呪い
  5. 参照

利用可能性ヒューリスティック

ある出来事の発生頻度や確率、原因を推定するとき、その出来事の実例が自分の記憶の中でどれだけ容易に利用可能 (available) であるかが判断に影響を及ぼしている。印象的で感情を揺さぶられた出来事や頻繁に遭遇している身近な出来事、直近に遭遇した出来事などは記憶の中で利用可能性が高い。

人間は希な出来事よりも出現頻度の高い出来事を思い出しやすい。このため多くの場合において利用可能性ヒューリスティックは正しい判断を導く。しかし、記憶による利用可能性はその出来事の客観的な出現頻度とは無関係な要因にも影響される点で間違った解を導くことがある。

1 想起容易性

人間の判断はその出来事に対する思い出しやすい具体例に傾倒しやすい。

部下の行動でひときわ印象的な事例は、良いことでも悪いことでも日常的で平凡な多くの出来事より容易に思い出すことができる。このため、そうした記憶の方が人事考課に重みを持つことになる。また出来事の時間的な近さも想起の要因となる。人事考課が 1 年の場合は最後の 3 ヶ月の方がその前の 9 ヶ月の評価よりも記憶の中で利用可能性が高くより重みを置いてしまう。

選挙において確たる候補者が見当たらないとき、人は並んだ候補者あるいは政党名の中でより聞き覚えのある名前に投票する傾向がある。このとき、名前と共に伝達されたニュースの善し悪しはあまり関係がない。選挙運動を行っている人間には選挙カーや街頭演説で候補者名だけを連呼しても実際の得票数がある程度は上げられることが知られている。

同様に、人は物自体や価格などすべての条件が同じであれば自分の聞いたことがあるブランドの商品を購入する傾向がある。このため TV CM で繰り返し商品名を聞かせたり、ネット上の広告を見せることは購買行動に有効である。話題性は想起容易性バイアスを利用したマーケティング手法である。

想起容易性は:

  • 事前知識が全く無ければ最も直近に成功した方法が最も成功する期待値が高い
  • 何度も耳にしたり多数の人間が選んでいるものは大きくハズレる期待値が低い (バンドワゴン効果)

といった経験則を利用するヒューリスティックである。しかし、同時に先入観 (preconception)偏見 (prejudice)、思い込みの原因でもあり、重要な判断をするべき局面で時に合理的ではない結論を導くことがある。

2 検索容易性

人間は思考パターンでより速く、より簡易的に、より多く到達できる事象を過度に見積もる。

先頭の文字が a の英単語と、3番目の文字が a の単語ではどちらが多いだろうか? という問いに対して、多くの人ははっきりしないと前置きしながらも先頭の文字が a の単語の方が多いだろうと答える。実際には 3 番目が a の単語の方が多い。3 番目の文字が a の単語より先頭の文字が a の単語の方が思い浮かべやすく、過度に見積もられたためである。

通い慣れたスーパーで果物やアルコール飲料がどこに置かれているかすぐに思いつくだろう。あるいは家の近くでファミレスやコンビニを探す時にそれらが密集している場所を思い浮かべることができるだろう。人がある目的を探す時に、一番に思い浮かぶ場所へそれを配置する事はビジネスにおいて非常に有効である。実際、スーパーの商品配置やファミレスの立地選定はそれを実践している。

検索容易性は:

  • 選択を誤った場合の被害が問題ない程度であれば最初に思いついたものを採用する方が判断コストが少なくて済む

といった経験則を利用するヒューリスティックである。従って「とにかくここならば何でも揃っている」といった百貨店型構造を取ることはビジネスの利にかなっている。しかし、選択肢の検討が不十分になることから、時に合理性のない選択肢を選んでしまうこともある。検索容易性を過度に適用した弊害として、多様性の欠如、ベンダーロックイン (囲い込み)、市場独占といった合理的でない状況が発生することがある。

代表性ヒューリスティック

人は特定の個人や物事について判断するとき、前もって抱いている固定観念に合致した特性を見いだそうとする傾向がある。

代表性ヒューリスティックはしばしば正解の大まかな方向性を示し初期段階の不確定性の高い判断コストを省略する。その効果で意思決定者はより高位の判断に注力することができる。しかし、ときにこれは合理性と相反した深刻な判断の誤りをもたらすことがある。

新しい仕事のポジションや映画の配役など、人にロールを割り当てるとき、それがスポーツ経験のある人に向いているか、若い男性に向いているか、内向的で思慮深い人に向いているかといったことを考えて採用を行うだろう。

代表性ヒューリスティックは無意識の判断にも影響を与えている。たとえ意識レベルでは倫理に反することだと理解していても、人は無意識に人種差別や性差別などの行動を取ってしまうことがある。

正確な判断ができるほどの情報を持ち合わせていないときや、代表性には劣るがより適切な情報が利用可能であっても、人は代表的な情報を信用してしまう傾向がある。

3 基準比率の無視

人は個別ケースに注意が向くと問題全体の基準比率を無視する。

「70% が弁護士、30% がエンジニアの集団から 1 人選んだ、どちらの職業か」という問いにどう答えるだろうか? これ以上の情報が無ければ弁護士とエンジニアの比率は概ね 7:3 に沿った回答が得られるだろう。しかしここで「選ばれた人は内向的な性格で数学の問題を好む」という情報を与えたとたんに 7:3 の比率は判断に影響することはなくなりほとんどの回答がエンジニアとなる。これは「選ばれた人の人物像」という個別ケースに注意が向いたため、同様の弁護士がいる可能性については考慮から抜け落ち、基準比率が無視されたことを意味する。

事業を構想中の人は自分の事業が成功する未来図を描くことに時間を割く一方で、事業が失敗する可能性についてはほとんど考慮しない。起業家は事業が失敗する基準比率は自分には当てはまらないと考えている。結婚や自動車事故などについても同様である。プログラマは一切のバグを含まずリリースすることがほぼあり得ないと知りながら、自分が十分に注意深く書いたコードは完璧だと考えテストを省略し事故を起こす。根拠無く「自分たちは大丈夫」と思い込んでしまう認知バイアスである。

ソフトウェア・エンジニアの身近な例では、一連の作業の中で最も難しいと考えている設計や実装部分の問題に注視するあまり、それ以外のタスクや全体のスケジュール配分を十分に考慮しなくなる傾向が挙げられる。開発者はそれらの問題を解消する目処がたったところで「完了した」と認識し、結果としてテストが不十分であったり当初の目的と違うものができあがることがある。アジャイル開発は開発者どうしが密なコミュニケーションを取ることでこのようなプロジェクトの基準比率からの意識の乖離を日々修正している。

4 サンプルサイズの無視

人はサンプルサイズの評価よりも事象の代表性に意識を向ける。

「コイントスの実験で表が出た割合は 60% だった」と説明を聞いた人は、まずコイントスに対して 60% がどれだけ代表的かを考え「コインが少し変形していたのではないか」と考える。実際には 5 回の試行で表が 3 回出ればこの結果になる。公正なコイントスにおいて 60% の偏りが妥当かを考える余りサンプルサイズが無視される。

ある街に産婦人科が 2 軒ある。一方は月に 200 人の子供が生まれる大病院、もう一方は月に 30 人が生まれる普通の病院である。男児が生まれる割合が 60% を超える日数が多いのはどちらの病院だろうか。この問題では、男女比がほぼ同じという代表性からどちらの病院も同じであろうと考える。しかし実際には 1 日あたりの新生児の母数が少ない後者の方が男女比率の振り幅が大きくなる。

調査の対象となった母集団の正確な数を明かさない限り調査の結果報告は無意味である。しかし、人はサンプル数が多い方が正確であることを知りながら (時に営業やマーケティングの理由で) 意図した結果を導くためにサンプルサイズを無視することがある。

5 確率の誤認知

人はサンプルとして採った現象がその母集団を正確に代表しているものとして過剰に信頼する。

人は「サイコロは同じ目が連続して出ることは滅多にない」という強い観念を抱いており、連続した目が出ると不審に感じる。しかし、実際はサイコロを 20 回振って同じ目が 3 回連続で出る確率は 36% である。同様に「乱数は同じ数字が連続して出現したり意味のあるパターンが出現することは滅多にない」と考えており、実際にそのような数列を見かけたとき偶然以上の何らかの意図を感じてしまう。しかし少数の法則 (law of small numbers) によってそのような偏った事象はしばしば実現する。

人に自然と感じる乱数を作らせると連続した並びやパターンを過度に排除した数列を生成する。例えば誰かに 0 から 9 の数をランダムに言い続けてもらうと、直近で使用した数字をなるべく使わないようにしている傾向が見て取れる。マークシート式試験で同じ番号の解答が続くと不安にならないだろうか。あるいは残り時間が迫り当てずっぽうでマークするときに同じ番号が連続しないように無意識に調整していないだろうか。

じゃんけんをする時も連続した手を無意識に除外する行動を取っている。もしグーであいこになったなら、相手は次にグーを出さない可能性が高い。選択肢はパーかチョキであるため、チョキを出せば勝つか再びあいこかの可能性が高い。このように、あいことなった時にその手に負ける手を次に出すことでじゃんけんの勝率を上げることができる。

ギャンブラーの錯誤 (gambler's fallacy) は、偶然がある方向に偏向すると、次は均衡を回復するためにそれとは逆の方向に偏向すると考える心理現象である。しかし実際にはそのような力が働くのではなく、起きた偏向は徐々に大数に埋もれてゆくだけである。

6 平均への回帰

結果に偶然の要素が介在する事象はすべて平均への回帰が起こる。しかし人はそのような自然な回帰が起きたことに気づかず、観測した現象に意味を見いだそうとする。

ある飛行訓練学校のベテラン教官たちによれば「訓練生がとりわけスムーズな着陸を見せたときにそれを褒めると次の着陸はあまりうまく行かない傾向がある、逆に雑な着陸をしたときにそれを厳しくしかると次の着陸はうまく行く」と言われていた。これが統計データとしても正しいとしたら、褒める行為は生徒の力を落とすことになるから厳しくしかる方が良いという結論になるだろうか。

これは平均回帰のバイアスが引き起こす古典的な事例である (1973, Kahneman & Tversky)。生徒が自分の実力以上にスムーズな着陸をしたのであれば、それは偶然の要素が大きく、褒めようが褒めまいが次の着陸では普段通りの着陸になる可能性が高いだろう。雑な着陸をしたときも同様に次の着陸では元に戻る可能性が高い。従って生徒を上達させるには厳しくしかった方が良いと考えるのは回帰の誤謬である。

あなたは 60 歳を超え、ここ数ヶ月は左膝の関節に痛みがあって歩くのもおっくうになっていた。あるとき、知り合いから勧められたある健康食品を 1 ヶ月試したところ痛みはかなり改善して毎月その健康食品を買うようになった。しばしば耳にするこのような事例も、体調や季節の影響で偶発的に発生した膝の痛みが平均へ回帰した理由を健康食品と過度に関連づけている可能性がある。この思い込みは健康食品が高価であればあるほど、大金を出した理由付けに偏向して強固となるだろう。

一時的/偶発的な不具合が発生している客を見つけ出し、今後に平均への回帰が期待される事を見越して世話を焼くことは、相手が勝手に回帰理由に設定する可能性が高く投資としては有用である。

適合ヒューリスティック

人は否定的な証拠がない限り、自身の主張や仮説が真実であると前提しているかのように振る舞う傾向がある (Gilbert, 1991, Trabasso, Rollins, Shaughnessy, 1971)。つまり、最初に好意を抱いた結論を支持する方向に向けて証拠を探し、またその方向に向けて証拠を解釈する (Nickerson, 1998)。このような心理作用を肯定的仮説検証 (positive hypothesis testing; Klayman & Ha 1987) と呼ぶ。

人が物事の関連性や因果関係について考えるとき、直感的に選択されたデータのみが含まれた不十分な事例を適用する。例えば「A であることは B だろうか」について考えて見ると良い。

  1. アニメやゲームが好きなことと性犯罪や凶悪犯罪には関連があるだろうか。
  2. 子供の頃にスポーツが得意だった人は大人になってから成功しやすいだろうか。
  3. 収入が高いことと幸福であることは関係があるだろうか。

ほとんどの人は自分の知っているの中で A に該当する人を何人か思い浮かべ、その人たちに B の傾向があるかを考える。しかし、正しい判断をするためには少なくとも以下の 4 つのグループに属する人たちを思い浮かべる必要がある。

  1. A であって B である
  2. A であって B でない
  3. A ではなく B である
  4. A ではなく B でもない

人は仮説を肯定する 1 つの局面のみを直感的に選択し、他に考慮しなければならない局面を見落としていることが多い。

7 確証バイアス

人は自分の仮説や期待に合致するような情報を無意識のうちに、時に恣意的に選択して探す。

たいていの人は他者からの非難を受け入れることに抵抗を持っている。人は合理的な解を導くよりも、現在の自分は正しいと確信することを優先しがちである。

熱心な政党支持者は自分の信条が批判されることより支持されることを好む。党派性の強い問題となると証拠の探索や解釈に対するバイアスがことさら顕著に表れる。対立党派が起こした不祥事に憤慨した人々は、自分の党派で同じ事が起きてもそれほど憤慨しない。

ある政策に対する対立する信条の支持者に、それぞれを肯定/否定する証拠を与えて検討させた時、双方とも自分たちの考えを肯定する証拠に妥当性や説得力を見いだし、逆の証拠には批判的で説得力がないものとした。結果的に検討を終えた後、どちら側も検討前に比べて自分の信条をより強固なものにした。(1979; Lord, Ross & Lepper)

マズローの「ハンマーを持つ人にはすべての問題が釘に見える」は、自分が得意とする手段に固執するあまり、すべての問題に対してその手段が適していると考える傾向を端的に言い表している。

確証バイアスの原因の一つは、人が自分の仮説について考察するときに仮説と合致する記憶が恣意的に選択されることによる。もう一つは、仮説を最も肯定する情報が得られそうな情報源を最初に探索するためである (検索容易性バイアスによるもの)。結果として情報を選択的に集めたり、望んだ結果に導いてくれそうな情報に特別な信頼を置くようになる。

確証バイアスの有効な対策は、自分の仮説を肯定する証拠ではなく、誤りであると考えた場合の反証を集めることである。

ビジネスでは自分が思いついたアイディアを支持して欲しいという願望は非常に強く、支持してくれる人には進んでお金を払う。確証バイアスに対して悪魔の代弁者を立てることは有効だが、これを行うコンサルは大抵の顧客には支持されない。

8 アンカー効果

人は何かを見積もるとき、まず何らかの起点や基準 (アンカー) を定め、そこから始めて頃合いと思うところまで調整を行おうとする。しかし、結果としてその見積もりは当初のアンカーからあまり離れることはなく不十分なところで止まってしまう。

人の思考は物事を個別評価によって予測することが困難に感じる。

購買心理

割高感のある品物を見せた後に多少高いがそれより割安感のあるものを見せて検討させることで本命の商品を割安に見せる手法はよく知られている。あるいはより割安に見せるための二重価格表示ような方法もある。

部屋を借りるために不動産屋を利用する。内見に対応できるのは 1 日 3 物件程度である。一件目に希望の金額だが微妙な物件、二件目に希望より少し安いが最悪な物件を見せた後、三件目に希望より少し高いがまあまあな物件を見せる。

第一印象症候群

最初に受けた印象は強力で、後に見解を訂正する機会が来てもあまりうまく機能しない。

始めて手に入れた自動車、あるいはメーカーを乗り続けたり、初恋の人が忘れられなかったりする「思い入れ」の心理。人は新しい物事に夢中になったとき、そのきっかけとなった物事が今後のそれに対する強いアンカーとなる。

自分たちが育った時代が良い時代だったように感じる「昔は良かった」も過去に自分が経験した物事をアンカーとして現在を評価していることから生じるバイアスである。

偏見

子供は低学年のうちに学力でクラスを振り分けられる。これにより教師にはアンカーが設定され、クラスによって立ち振る舞いが変わる。生徒がランダムに振り分けられたクラスに対して、特進クラスと言われた教師は他のクラスと異なる振る舞いとなった。

MBA の卒業を控えた生徒は企業からのオファーで前職での給与を聞かれることにうんざりしている。前職での給与やどういった実務を行っていたかという前提条件は待遇を交渉する上での強いバイアスとなる。

他にも人種や性別、年齢、出生などの情報を元に相手を見積もることは本来なされる評価から離れた非合理な判断となりうる。

大衆心理

社会的に大きな事件や事故が起きたとき、大衆やメディア、論壇はその対策のために合理性から離れた判断をする傾向が強くなる。2018 年に東海道新幹線で起きた殺傷事件において、身分証明書の提示と手荷物検査を求める意見が上がった (新幹線で刺殺事件:荷物検査と身分証明書義務化はすぐ可能だ)。1度の重大事故で乗客の多くが死傷し、救助の困難な場所に墜落する可能性のある航空事故と違い、1日60万人以上を輸送している東海道新幹線の各駅が、数年に一度発生する事件のために保安区をもうけ手荷物検査を行うことは根本的な問題対処ではなく合理的ではない。しかし、ときに人は事故の悲惨さにアンカーを設置し再発防止に過度な対応を迫り、(確証バイアスにより) その考えに沿う論説を恣意的に探索する。

心理作用

人が推定や見積もりを行うとき

  1. 利用可能な情報を元に最初のアンカーを設定する。この情報は時に過去の出来事や問題と本質的に関係のないものが使用される。
  2. アンカーから上下のどちらかに調整してゆき最終的な解を得る。

という手順を追う。しかし、大抵は十分に客観的で普遍的なところまで到達する前に調整を放棄する。結果として、問題そのものが同じであっても、最初のアンカーをどこに設定したかによって最終的に妥当と判断する見積もりが大きく異なる。

これは、人がこの調整を行っているときに、アンカーを仮説とみなした確証バイアスが働き、アンカーに合致する情報を恣意的に選択することが影響している。

アンカーが外部から与えられたとき、人はそのアンカーと合致する情報を恣意的に探索しようとする。これは、例えば高価な品物を見たときにその価格設定が妥当である理由を無意識に探してしまう心理作用である。

アンカーを自分で設定したとき、見積もりはアンカーから余り離れることなく不十分な調整で終わる。

意思決定におけるアンカーはきわめて強力なヒューリスティックであるため、その存在を意識の元に置いた上であっても、その影響を変えることは困難である。これ推測の正確さに報酬が出るケースであっても変化がない。ヒューリスティックは認知的アンカーであって人間の意思決定の中核をなしている。打ち壊すものとして理解する必要がある。困難な挑戦だが努力する価値がある。

9 連言事象と選言事象のバイアス

人は連言事象 (「かつ」で繋がった事象) の生起確率を過大に見積もり、選言事象 (「または」で繋がった事象) の生起確率を過小に見積もる。

複雑なシステムはそれを構成するサブシステムのすべてが機能することで機能する。逆に言えばサブシステムの一つでも機能しなければシステムが完全に機能することはない。しかし、選言事象の過小評価により、いずれか一つのサブシステムに問題が起きる可能性を過小評価し、結果としてシステム全体が機能する可能性を過大に評価する。システムの構成要素が多ければ多いほどサブシステムの一つが問題となる可能性は上がるはずだが、人の判断はそれを追従することができない。

企業システムの開発プロジェクトは要件定義、設計、実装、テストのすべてが行われて完成するが、しばしば実装以降の連言事象を十分に考慮していない見積もりによって時間や予算がオーバーすることがある。これは行政の都市開発から個人のタスク管理まで様々な進捗管理で起きている。行程の中で最も困難な部分に注目するあまり他の部分に注意がまわらなくなる (非注意性盲目)。人は潜在的に判断コストを減らしたい欲求を持っており「○○が済めば終わったも同然」言説を過度に適用しようとする。

10 自信過剰

多くの人は自分の考えの正確さに過剰な自信を持っていて、その自信の不正確さに気づいていない。

自信過剰は我々の判断に置いてよく見られる現象である。自信過剰があるために我々は自分の能力以上のことに挑戦する勇気が持てる。人生で何かを達成する上で不可欠であるし、他人からの敬意や信頼を呼び起こすものである。状況によっては根拠のない自信は有益なこともある。

一方で、自信過剰は有効な意思決定を妨げる原因にもなり得る。自分は正しい答えを持っているという思い込みがあまりに深いと、新たな証拠や別の観点からの選択肢に対して鈍感になる。

人は自分の信念について自分の自信の度合いを考えるときに、その信念を否定する証拠を記憶の中から探し出すよりも、その正しさを裏付ける証拠を探し出す方が得意である。従って自身の信念である「自ら作り出したアンカー」からの調整は不十分に終わり、自分の考えは大変優れていたのだと過度の自信を抱く。自分の仮説の正しさを補強する証拠は利用可能性が高いため、自分の知識や暫定的な仮説の正しさを過大評価する。このように自信過剰は確証ヒューリスティックによってもたらされる。

自分の自信の度合いについて正確に認識するには、違った観点の解釈や仮説について考えるよう外部から仕向けることが効果がある。つまり、自分が間違っているとしたらその理由は何だろうかと考えることである。

11 後知恵バイアス

人は後で判明したことに基づいて、過去の時点での自分の知識を過大に評価する傾向がある。

後知恵バイアスは自分や他の誰かの意思決定を振り返ったときにしばしば起きる。人は過去の意思決定に対して、その結果が出る前に、当時の不確かな状況が自分にどう見えていたかを正確に思い出したり再構築することが苦手である。

人が情報を取り出すときは肯定的な情報を選択的にアクセスする。当時の自分がすでに判明している結果となる確率をどう見積もりしていたかを考えるとき、その出来事に関してすでに得ている知識がアンカーとして作用する。そしてその結果を裏付けるより肯定的な情報がより利用可能性の高い情報として選択的に検索される。

後知恵は記憶を歪めることもある。すでに分かっている結果を裏付ける証拠となる情報は記憶の中でも目立ち参照されやすい。このため、当時自分はこのように考えたはずだという主張が本人の中で事実として正当化される。

後知恵バイアスは、短期的には自信を呼び覚まし、他人の判断を非難することができて有益な部分もある。しかし、過去から学ぶ能力と、過去の意思決定を客観的に評価する能力とを低下させる。

意思決定がどのような結果をもたらしたかではなく、どういうプロセスと理論で意思決定したかで能力を評価されなければならない。後知恵バイアスの影響を受けると意思決定がどのように行われたか適切な評価ができなくなる。

12 知識の呪い

人は他人の知識を見積もるときに、自分は持っているが他人が持っていない知識について過大に評価する傾向がある。

専門家は、自分の客が素人であると分かっていたとしても、相手が自分の専門について自分と同じくらい深く理解しているという前提で対応してしまうことがある。電化製品の設計者が背景知識の必要な専門用語を使った説明書を書いたり、

人はメッセージの受け手が持ち合わせていない情報に基づいて、自分にとっては明確だが受け手にとっては曖昧なメッセージを伝えてしまうことがある。受取手がどうやってその意図を理解できるようになるかを想定しないまま、相手が理解してくれることを期待する。

参照

  1. マックスベイザーマン, ドンムーア (2011), 行動意思決定論―バイアスの罠, 白桃書房
  2. 認知バイアス
  3. 処理流暢性: https://togetter.com/li/1039919